【自己紹介】慶應卒なのに人生転落していた私の記録。-ワンランク上の幸せを掴もうと思ったきっかけ-

Spread the love

はじめまして!えみといいます。
簡単に自己紹介させてください。

現在、都内某ベンチャー企業で
マーケティングや広告運用に携わっている
独身女性です。

いきなりタイトルに「人生転落」てどういうこと?
って思われた方、
その理由がこのページに書いてあります。

良かったらお茶でも飲みながら
読んでいってください。

卒業大学は慶應大学で、
一般的にはエリートと呼ばれる部類です。
ですが、学生時代からのうつ病・不眠症と
極度の虚弱体質で
長〜い時間を無駄にしてきました。
正直経歴は立派なものではありません。

その長い時間のなかで
インターネットを使ったビジネスも
色々なものに投資し学びましたが
身体がダメだと志が高くても
行動が続かない
のですよね。

本当に回り道だらけの人生でした。

今はだいぶ回復して、
仕事だけは人並みにできてはいますが
いまだに虚弱体質は根強く残っていて
毎日仕事が終わると結構ぐったりしています。

そんな私ですが
自分にピッタリの健康法を実践しながら
ベンチャー勤めで忙しい中でも
ネットで稼ぐための活動を
限られた時間の中でコツコツと進めています。

なんでそんなに頑張るのかって?

それは、
「一度きりの人生をわがままに生きる」ため
この一言に尽きます。

「えみ」ってどんな人なのか、まず簡単に書くと・・
・メールとLP改善でセミナー集客数を3倍以上に伸ばす
・メールのコンバージョン率18%超え
・広告運用のとあるキャンペーンで1位を記録
・寝ていてもお金が入ってくる「仕組み」を作っている
・学びに数十万円×数回をぽんぽん投資
・20代で数億円を稼ぐ師匠からビジネスを学んでいる
・健康のために時間とお金をかけて研究&改善を繰り返している
・凡人でも成功できることを知っている

一言でいうと女性ぽくない
「変わった人」です 笑

こんなメールだ学びだ投資だなんて
当たり前のように書いていますが

もともとはビジネスの「ビ」の字も頭にない
音楽や絵を描くことが好きな人間でした。

ではなぜ今このようにして
わざわざ身銭を切ってまでビジネスを学び
実践しているのかと言いますと、

長い体調不良のせいで
悔しい思いが多すぎる人生だったから。

やりたいことも
体調不良で動けなかったり、
働けないからお金がない

というような理由で
思うようにできない。

欲しいモノも
お金のことをまず考えて
2番手、3番手を
「こっちのほうが便利だし」
無理やり言い聞かせて
少しでも安い方を選ぶ

もうそんな人生とはおさらばするのです。
一度きりの人生なのだから。

だから、私の理念は
「一度きりの人生をわがままに生きる」
です。

 

「自分の人生、わがままに好きなことをやって
めちゃくちゃ楽しんでいる!」

と心の底から正直に言える時って
どんな時だと思います?

答えは人によりけりだと思います。
ですが確実に言えるのは「幸せ」を感じているのではないかと。

ではその幸せとは
具体的にどのような状態を指すのか。

これは、とある起業家の考えである
「4つの自由」

金銭的自由

時間的自由

身体的自由

精神的自由

の自由度が高い状態である
と、私は定義します。

人生において、この4つは密接に関係します。

例えばお金。
今の資本主義社会では
生きていくためにはお金が必要です。
どんなに切り詰めても、
お金が要らないなんてことはあり得ません。

お金を得るためには働かねばなりません。
時間を切り売りしたり、
身体的に長時間拘束
されたりして
労働をしていくわけです。

いわゆる「良い会社」に勤めていたって
時間を切り売りして、
身体的に会社に拘束されているのは変わりません。

毎日長時間、
好きでもない仕事をしていくことで
精神的にも余裕がなくなってきます。

好きな仕事であったとしても、
長時間働かないとならない状況下では
精神がすり減ってきます。
肉体的にも健康でいられなくなるでしょう。

ではお金があればどうか。

まず「お金のために働く」ことから解放されます。

これが意味するのは、
このブログの理念である
「一度きりの人生をわがままに生きる」
に含まれる要素のひとつ、
”妥協じゃなく「好き」を選ぶ”ようになるってことです。

大して欲しくない
2番手3番手じゃなくて、
「これ好き!」
「これ欲しい!」
を躊躇なく選択
できます。

そのほかにも、
・時間に余裕ができるから好きなことができる
・身体に思い切り気を遣えるから健康になる
・時間にもお金にも余裕があることで人に優しくなれる

etc.

また、
お金を生み出す方法を知っていれば
お金がなくなる恐怖からも解放されます。

これは地味にでかいです。
宝くじや相続した遺産だと
無くなる恐怖と常に隣り合わせですよね。

 

このように、
金銭的自由をはじめとした
4つの自由度を上げることで
「一度きりの人生をわがままに生きる」
ことできると分かっているから、
私は自分自身に言い聞かせながら行動しています。

このブログでは
自分で体験&改良を繰り返したり
経営者から学んだりした
人生を豊かに生きる方法
(健康になる方法、時間を増やす方法、成長する方法etc.)、
また、無理矢理ではなくスルッと行動が続くようになる技術について発信しています。

ここまで読まれたあなたは
きっと私のことを
スポ根超絶ど根性人間
と思われていると思います 笑

ですが、本来私自身は
すごくめんどくさがりで
ぼーっとするのが大好きな人間なんです。

根性、努力、気合!
なんてものからはとても遠い存在です 笑

だから私は
適切な努力を適切な行動量で行う。

これが本質だと思っていますし、
何事もこれに尽きると思ってます。

このブログを通じて私が伝えたいこと、
よかったら考えてみてもらえると嬉しいです。

では、ここからが本題です。
私がどのようにして
転落人生から這い上がって今のように
元気にビジネスを行うようになっていったのか

また、以前の私がどんな人間だったのか
隠さずお伝えします。

テキトーに寝っ転がりながら読んでみてください。
人間誰しも変われるんだって、
あなたの価値観が変わると思います。
そのきっかけが私だったら嬉しいです。

 

【前編】生い立ち


ヒステリーママとマイペースな幼少期


両親と弟の4人家族、ただし父親は単身赴任で不在。
という、いわゆる一般家庭で育ちました。
単身赴任で父親不在くらいはよく聞く話ですよね。

母親はかなりヒステリックで、
怒るツボが私には分からず
ビクビクしながら生活していた記憶があります。

そういえば、小学校に入る前には幼児教育をやらされて
それがとても面倒でした 笑
出来は良かったのですが、
面白くないんですもの。

幼稚園、小学校も
呼ばれても読書をしていると
集中して気づかないという
マイペースさを発揮しつつも
若干お転婆なところもあり
数名の仲間を引き連れ遊んだり、
時にいたずらをかますなど
割と健康的な子どもだったと思います。

転校。いじめ。人目を気にする性格に


小学校3年の夏、
父親がいる関東に引っ越すことに。

今でこそ出入りが多いですが、
私が引っ越してきた当時は
そこまで多くなかったのと、
身長もそこそこ高ければ勉強もそれなりにでき
なんなら足もまあまあ速い(自慢ではなく)
という目立つ理由満載のせいで
いじめられました。

当時はいじめられる理由が全く分からず
(そりゃそうだ)、
親もたいしてまともに取り合ってくれない
といったところから病みましたね。

この頃から虚弱の種がまかれていたように思います。
なぜならいじめられる理由が不明だから
自分の存在を否定するようになってしまったんです。

今となっては笑える、
けれど自己否定を裏付ける
エピソードがあります。

音楽の授業でバスマスターという楽器を担当しないか?
と教師に打診された時
一度激しく抵抗したんです。

その理由が
バスマスターという楽器のことを
当時知らなかったんですけど
「マスター」=統率する係
と連想してしまい、
「統率したら目立つ、そんなことしたらさらに嫌われる!」
と思ったからなんですね 笑
咄嗟にここまで思い詰める小学生もなかなかナーバスな。。

胃薬を常時携帯する中学生


一見普通に見えて、
自己否定のストレスを抱えていた小学生時代から
中学受験するしないで若干色々とあった後
結局地元の公立中に進学することに。
今となっては何で私立行かなかったんだろうと思いますね。
嫌な仲間なら切って上を目指せばいいのに。

数少ないながらも友人でいてくれた人たちと
離れるのが怖かったこと、
そしてまた新たな場所でやっていくのが
怖かったのだと、今となっては思います。

そんな中学時代ですが
表面的には楽しくやっていたように思います。
合唱コンクールに向けて頑張ったりするのも楽しかったです。
演劇で主役張るのも楽しかったですね。

ですが、ある時から
お昼の給食を食べた後に
腹痛を起こすようになったのです。

そのため、キャベジンという胃薬を
瓶ごと携帯するようになりました 笑

たまに友人が胃痛を起こすと
胃薬くれって来てましたね。

この頃から給食どころか
お肉を食べても腹痛を起こすようになり
色々なものが食べられなくなりました。

今でもそこまで食に興味を抱けないのは
当時の影響が大きいと思ってます。

食べる=具合悪くなる
の等式が出来上がってたからです。

希望の進学先。その先に待ち構えていたものは…


高校受験は公立にしろ、
と親に言われたような気がして
希望の公立を受験し合格。

当時第一志望の高校は公立にもかかわらず
私服で自由な校風でした。

それが自分には合うと思っていたのですが、

「なんか違う。。」

合わないだけでなく、
入学した時点からどうも体調が良くなく
ウツ状態に入ってしまったのですね。

多分食べられないものが多くなり
食事内容が偏って
栄養不足だったのだと思います。

こうやって書いていくと
楽しさ弾ける10代のはずなのに
すでにどん底です。

なのに部活の部長をやっていたり
生徒会に入っていたりと
他の人から見たら
すごくやりたいことをやれている風に
見えていたかもしれません。

ですが、実際は他人の目をひたすら気にして
自己否定を重ねた上
部活の部長と生徒会ですから
内面は葛藤と辛さMAXでした。

今考えてみたらそんなものやらずに
自分のやりたいことに集中していればよかったです。
でも、ストレス下・ウツ・虚弱だと
その辺りを冷静に考えられなくなってくるんですよね。

また、周囲に相談できる人がいなかったのも
大きな理由かもしれません。
もしかしたら私がそう思い込んでいただけかもしれませんが。

だからあなたには悩みをしっかり相談できるようになってもらいたいです。


大学進学。そこからさらに人生転落。


高校3年生の最後のあたりって
学校に通わなくて済むところがあると思うんですけど
私の通っていた高校もそうでした。
だいたい三学期、2月入ったあたりですかね。

私、学校がオフになったその日に
速攻40℃の高熱が出るひどい風邪にかかったんですよ。
十中八九インフルエンザです。
気が抜けたんでしょうね。
当時、病院が大嫌いだったため
自宅療養していたのですが
ストレスと虚弱(体調不良)のせいか、
全然治らない 笑

1週間以上高熱にうかされていました。

そのだるい体と朦朧とした頭を
引きずって受験をしたところ
当然のように玉砕。

ここから暗黒時代の序章が始まったのでした。

【中編】暗黒時代


予備校時代


受験に玉砕しちゃったので、
予備校に入ることになりました。

高校3年の時の成績がなんだか良かったために
特待生で入ることができ
お金があまりかからなかったのが
親に負担をかけず
マシだったかなと。

予備校時代は、
必要な授業だけ出席して
不要と判断したものは出ず
クラスメートとも在籍中はほぼ話をしませんでした。
彼らと仲良くなったのは大学入学してからですね。

そんな状況だったので正直あまり記憶がありません 笑

長距離通学。不眠。さらに体はボロボロに。


幸いながら第一志望の大学に合格できました。
私の第一志望の学部はかなりの僻地にあり、
一人暮らしした方がいいけれど通おうと思えば通えなくもない。
という絶妙なロケーション 笑
だいたい片道3時間程かかりました。

さて、私はどうしたかというと
「通えるから通うよ」
と親に伝えました。

いやほんと一人暮らししなさいよ、、過去の私。

ちょっと遠慮しちゃったんです。
学費が比較的高いし、
あと、うちの親は1人暮らしNGというだろうし、
とか色々考えてしまって。

これが暗黒時代の始まりだったのです。

バーンアウト


当時の最寄駅って始発駅ではなかったんです。
学校の最寄駅も終点ではなく。
だから必ず電車で座れるわけではなかったんですね。
そして乗り換え2回、バス含めたら3回。

うまく気を抜けるタイプなら
それでも立ち寝したりできたのかもしれませんが
私にはそういう器用さがありませんでした。

大学1年時ってフルで単位を取る
パターンが多いと思うのですが(フル単)、
それにならった私は欲張りだったんでしょうね。
当時は鬱々としていても
なんとしてもキャンパスライフ()を満喫したい!
と、なんとサークルも入ってました。

朝9:30から帰りは0時を回るのは当然。
そして片道3時間の通学に間に合うように
起床就寝を、、となると
取れる睡眠時間が少なくなります。

実は私は少し過敏なところがありまして。
ずっと外で刺激を受け続ける

早起きのプレッシャー
完全な不眠症
の出来上がり。

ずっと2時間くらいしか寝てなかったと思います。
そんなの健康体でも体調おかしくしますよね 笑

1年生の時はなんとかそれでもフル単近く取りました。
それが後々大変なことになるのですが・・・。

崩壊。そして病院通いの日々


そういった生活を続けていくにつれ
当然のことながら
更に精神状態が悪くなっていきました。
不眠だし、鬱だし、神経過敏だし
もう八方塞がりってやつです。

2年生になった頃、
これ以上この状態が続いたら死ぬ
と付属の大学病院精神科に通うことを急遽決意。

そこで睡眠薬をガッツリ処方され
眠れるようにはなりました。
なりましたが・・・
結局鬱の方はそう簡単に良くならず

体調も激悪だったので
漢方内科にも通うように。
そこで初めて「虚弱体質」と診断されました。

ちなみにどの程度虚弱体質だったか、
オーバーワークだったかと言いますと
21~22才くらいの時
帯状疱疹
にかかったんです。

看護師さんに
「お仕事大変なのね・・」と言われ
「いえ、学生なんです」と返すと
絶句していました 笑

漢方内科では色々処方は変わりましたが
補中益気湯と十全大補湯(※)の虚弱ダブル処方が
一番長かったように思います。
(※詳しくはググってください)

確かに効いて少しは楽になりました。
お肉も食べられるようになりましたし。
W先生には温かく接していただき
本当に感謝です。

ですが、
今思えばですが
環境を変えないことには
根本解決にはならない
のですよね。

結局、出席必須の授業に出られなかった
レポート2回要るところを1回しか提出しなかったり
なんと6年かけて大学を卒業しました。

それに伴い自尊心や矜持といったものは
地の底より低くなってしまいました

就活?なにそれ美味しいの?

卒業後は医学系に行こうかなんて考えて
勉強しようかなと。
ただでさえ具合悪いのに 笑


さて、卒業後の進路ですが
私その時もう何もできない状態だったんです。
だから、就職活動はしませんでした。
いや、できなかったという方が正しいですね。

そう決めてからは
塾講師のアルバイトなどしながら
勉強してはいたのですが
もう全然頭に入らないのですね。

なので途中でギブアップしました。

それからはアルバイトをしたり
体調不良で休んだり
ベンチャー企業で働いたり
やっぱり体調不良で撃沈したり
知人のツテでコピーライターをやったり
を繰り返していました。

わざわざ慶應出た人間がこれですよ。
ほんと底辺of底辺と。

【後編】もがきながらも光明が刺してきた。


底辺からの復活のきっかけはとある直感


そんな地を這うような生活をしていたある日のこと
ふと思いつきました

相変わらず精神科への通院はしていたのですが
「いつまでもこんなとこ通って
薬飲んでいても何も変わらなくね?
今までなんかいいことあった?ないよね?
なら、こんなの飲み続けても意味ないからやめてやれ!

そう直感が降りて
薬の断薬を始めました。
睡眠薬に抗うつ剤とかなりガッツリ飲んでいましたし
当時処方されていた抗うつ剤は
離脱症状(薬物等を減量した際に起こる身体的・生理的症状のこと)
がかなり強いという話だったので
すごーく時間をかけて
離脱症状と戦いながら
なんとか断薬に成功。

ここからやっと闇から一歩抜け出していきました

再生&就職?…給与不払い


抜け出した、とはいうものの
それは思考が「夢から醒めた」
ような状態なだけで
正直当初は読書すら
まともにできませんでした

目が滑って内容が入ってこないんです。

「目が醒め」てからもリハビリとして
近場でバイトなどしていました。

そんなある日、
知人の会社からオファーを受けて
薄給でしたがその会社に入ってみたんです。
そうしたらなんと・・

給与不払いされちゃったんですよね。

最初からお金の匂いが全くしなかったので
嫌な予感がしていたのですが
「正社員」という響きに
直感を遮ってオファーを受けてしまったのが悪かった

この時は労基署に何度も相談に行ったり
弁護士さんにも相談したり
今までの私とは打って変わって
かなり強くなりました 笑
そして、直感は信じることを強く学びました。

この給与不払いの件で、
一気に手持ちのお金がなくなり
給料が払えるまともな会社に、
派遣社員として勤務すること
を決意したのでした。

ようやく再生か?!新たな模索の始まり


数件の面接を経て、
やっととあるベンチャー企業にて勤務を開始

正直家から
ドアtoドアで1時間半かかるため
睡眠時間も4~5時間程度だったんですけど
すでに肉も食べられるようになっていましたし
大学生頃の睡眠時間よりは
全然マシだったので
なんとかやっていけました。
顔色はめちゃくちゃ悪かったですが 笑

そして、この時の会社で
マーケティングの仕事に
携わるようになった
んですね。

当初は派遣というのもあり
MA(マーケティングオートメーション)の設定や
自社ウェブサイトをいじる程度の仕事でした。

そしてこの頃、アフィリエイトという言葉を知り、
教材を購入して実践してみましたが
報酬を得ることはできたものの
体力的に続けることが困難で
一旦ステイ
という決断をしました。

そんなこんなのうちに、社員になり
より広範囲の仕事を任せられるようにもなりました。

メールマーケ
LPの改善
集客人数がどんどん増えていくのは
嬉しかったですね。

自分の作成したSEO記事
とある検索ワードで3位以内に入るのも
とても嬉しかった。

ですが、がんばって集客人数増やしても
必ずしも理想通りに
給料に反映されるわけではない
んですよね。
まだ道半ばだし、当たり前なんですけど 笑

そのうえ、私は派遣上がりだったので
そもそもの給料の
ベースラインが低い
わけですよ。
それで多少昇級したところで、、、
たかがしれている。

この頃から他に稼ぐ道はないか
模索し始めた
のでした。

初めて知った抜け道


「ちょっとこの状況打開しなきゃな・・」
そんなもやもやしている最中、
インターネットで稼ぐための
情報収集をしていたら見つけたのが
20代で億を稼ぐマーケターのブログ。

仕組み化?

寝ていても月収200万円は下らない?

1つの商品で8億円を稼いだ?

・・・

なにそれ、すごくない?
だけどちょっと怪しいな・・。
でも本当ならアフィリエイトより
自動化が可能だから画期的だよね・・。

そんな希望と疑いの入り混じった
言葉にならない気持ち
そのブログを読み進めていきました。

すると気づいたのです。

「これって今やっている仕事の応用じゃない??」

だとしたら詐欺でも嘘でもないし、
なによりブログの内容が
現実的な話で構成されている。

直感も「これは正しい」と囁きました。

こうして会社だけでなく
個人でもマーケターとしてやっていくことを決めたのでした。

「一度きりしかない人生をわがままに生きる」ために

 

冒頭でもお話ししましたが、

私はとーっても遠回りな人生を歩んできました。

体力もなければお金もない、
だから2番手3番手に甘んじる。
という生活が長かったわけです。

繰り返します。

もうそんな人生とはおさらばするのです。
一度きりしかない人生をわがままに生きるために。

個人でもマーケターとしてやっていく
決断をしてからも、
不安定な体調のため
途中で何度も歩みを止めることもありました。
というか、今ですらたまにあります。

ですが、少し歩みが遅くなることくらい
今までの私からしたら挫折のうちに入りません

不遇により培った粘り根性と、
得意なボトルネック分析
「健康状態」を改善すべきと判明したため
栄養療法・筋トレなどを開始し
今現在は健康状態が大幅に改善
体力と集中力が見違えるほど向上しました(当社比)。

そんななかコツコツ発信を進めています。

ちなみにこのコンセプトを作るのに
けっこうな日数がかかりました。
今の形で書き進めて
1ヶ月はかかりましたね。
その前にも何度か作り直しもしています。

なんで1ヶ月もかかったかというと
1日30分くらいしか取れない日が多く、
少しずつ進めていったからです。

それでもこうして完成はしました。

ここで私が声を大にして伝えたいのは

褒めて欲しいとかそんなことじゃなく、

こんな人間でも変わることができるんだ

ということです。

虚弱の底辺of底辺→派遣→社員→起業

もうリアル人生ゲームじゃないですか??笑

こんな人間が変わることができるのなら
あなたならもっと簡単に変われるはずです。
人生を変えることができるはずです。

ここまで相当長く書いてきました。
どれほどの方がここまで読んでくれているか正直わかりません。

ですが、ここまであなたは私のストーリーを読んでくださいました。
なにかしら思うところ、感じたこと
あったんじゃないかと思います。
どんな内容でも構わないので
よかったら感想を送ってくださると嬉しいです。

このストーリーがあなたの人生が変わるきっかけになったら幸いです。

えみ

PAGE TOP